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道:応用2 電車で隣の人の音漏れに悩むとき

はいライフ道

「音に悩むシリーズ」第2弾です。

応用1の続編的な感じの今回は、電車に座っている時に隣の人のイヤホンからモロに音漏れして困った時の対処についてです。

乗り込んで座る時には周囲の音もあり、イヤホンの音漏れには気づかなかったけど、いざ電車が動き出してみるとかなりの大音量で音楽を聴いていることが発覚したり。。

または最初は聞いてなかったけど、途中から音楽を聴き始めてこれがやはり大音量のようなケース。
自身が持っている音楽機器もない。空いていれば座席を変えれば良いけれど、混雑していてせっかく座ったとなれば、なるべくならこのまま座っていたい。このようなことが私自身何回かあります。

さて、この状況を変えたい場合にどうするか。
直接伝えるのがやはり一番手っ取り早いです。
が、最近は、注意をしたされたでトラブルになるケースがあるように、直接伝えにくい場面もあると思います。

そんな時の対処法をはいライフ的に記載しました。

基本的には前回の道:応用1と変わりません。
まずは自分がそのような場面にご縁があったことを認めます(道:其の4参照)。

これだけ多くの人と多くの本数が走っている電車、車両がある中で、ピンポイントで大音量で音楽を聴く人の隣に座った自分。
後から大音量の人が座ったとしても、なぜその電車、その車両、または同じ車両でも複数席が空いている場合もあります。
それなのに敢えて隣り同士になるこのご縁。それを考えると必然と考えるのが妥当と思えてきます。

まずは自分が今抱いているような好ましくない気持ちを、周りの人に与えてしまったことがあることを反省します。
身に覚えはなかったとしても、実際にその状況を今体験していることが、自分に要因がある何よりの証明です(道:其の3参照)。
ここは大人しくその事実を受け入れて体験を味わいます(道:其の5参照)。

やるべきことは、音の意味合いを変えること!

とはいえ、そのまま聞こえてくる音を不快と意味付けて隣に座っているのはつらいです。
この場合のポイントは、私が不快に思っているのは「イヤホンから漏れてくる音」そのものではないという点です。

詳しく見ていきます。

確かに私が不快に感じている原因は「イヤホンから漏れてくる音」に思えます。
ですが本当は、「漏れてくる音」と「不快な私」の間にはもう1つ段階があるのです。
それは(イヤホンの音漏れは周囲の人にとって迷惑だ)という認識です。

車内アナウンスでも度々注意喚起されていることからも、この認識を当然のように持ってしまっています。
なので、私の中では(イヤホンからの音漏れ=迷惑な音)と無意識に意味の変換が行われてしまっていたのです。

イヤホンからの音漏れ → 迷惑な音という認識 → 不快な私

ですので、音漏れを変えられる状況にないと仮定した場合は、認識を変える。
つまり、聞こえてくる音の意味を「迷惑」でないものにする、ことで解決できます。
もちろん聞きたくない音楽の音が聞こえてくるのは不快だ、と言われればそれまでです。

今回は、変えられない状況の中でいかに不快な私の状況を改善できるかに絞ってのお話としてお受け取り下さい。

私の場合は、今日は音楽付きの電車に乗れた、ラッキーだ!とラッキーボーイに自らを仕立ててしまう。
もしくは、スキー場のゲレンデのイメージで、スピーカーから聞こえてくる音楽が聞こえてきてる。

という風に意味付けしてしまいました。
街中で流れる音楽もゲレンデのそれも、必ずしも自分が好む音楽が流れるかと言えばそうではありません。

まとめ

こちらに挙げた2つの意味付けではなくても全く問題ありません。

大事なのは、私が不快にならない音として、聞こえてくる音を意味付けできるかどうかです。
それができれば、そのまま隣同士で座っていたとしても気分を害されることなく目的地まで移動できることになります。

音漏れする人の隣に座ってしまったことを運が悪かったと処理することもできますが、それは「偶然」に責任を押し付けてしまうこと。
逆に自分に全て要因があったと受け止めて進むことは、全て自分次第で改善できると宣言しているに等しいです。

あれもこれも全て自分の責任とは理不尽な!と感じる場面も確かに出てくるかもしれません。
ですが、自分によって全て変えていける、自分のみで完結できる、といった形の方が結果的にはとてもシンプルで分かりやすいと思います。

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