自分の感情は波長となって同じ波長の事柄を引き寄せるように、行為もまた巡り巡って自分に戻ってくる。
それはちょうど種まきをして収穫する行為に似ています。
人を喜ばせたり楽しませたりすれば、その行為は種となって自分の進むこれからの道にまかれます。
迷惑をかけたり悲しませたりする行為も同じように種としてまかれます。
芽が生えて、花が咲く
まかれた種は必ずどこかのタイミングで芽を出し花を咲かせます。
人参の種をまけば人参が育ち、トマトの種をまけばトマトの花が咲いてトマトの収穫に至ります。
決して人参の種をまいてトマトやその他のモノが形になって現れるということはありません。
種に入っている情報と収穫時に現れる実の情報はいつも一致しています。
この自然の法則のサイクルは、人の行為の種まきの場合も同じです。
喜べる事態、そうでない事態、いずれにしてもどこかでまかれた種が花を咲かせて今、目の前に現れている。
その事態を体験することを刈り取りに例えるならば、自分の行った行為を後々どこかのタイミングで同様に体験して1つのサイクルが完結します。
起こってきたこと自体が種がまかれていたことの何よりの証明になります。
もし喜べない事態に直面したら、(どこかでまいた私の種かな)と素直に受け取って体験して済ませることが大切です。
不足・不平・不満に思わず、喜べる面を探し、一つ刈り取りが完了したこと自体も喜びにして淡々と進みます。
そうすれば、その喜ぶ行為が次の種まきにつながります。
新しい種まきが喜びや感謝のみになれば、いずれ進んでいった先の道中は、きっと喜びや感謝の体験がいっぱいの花々で覆われることになるはずです。
まとめ
人生は一瞬一瞬種まきの連続です。
このサイクルは「自分の行為に責任をもつこと」や「すべての要因は自分にあること」というメッセージを私たちに強く発信しています。
自分がまいている種である行為を注意深く観察して、もし必要があれば将来自分が刈り取る際に喜べる花が咲くように切り替えていくことが大切です。
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