目の前に起こってくることは自分に縁があった事柄である。
すぐに喜べることもそうでないことも。
縁がないことは目の前に映らないし、ご縁のない人も自分の前には現れません。
そもそも自分の内面が外側の世界を映し出しているという考え方に立てば、尚更自分に要因のない人も事柄も世の中には何一つないということになります。
喜びや感謝の心を常に使って過ごしていれば、その波長が別の喜べる事柄の波長と縁を結び自分の前に現れます。
現れた事柄や人物を前にしてまた喜べば、また同様の波長が発信されて次のご縁を呼び寄せます。
不足・不平・不満の心も同様に、同じ波長のモノを呼び寄せて、またそれを見て面白くないという感情が生じればそれが波長となって次の面白くない事柄をまた引き寄せるという具合です。
普通に喜べる事柄は良いとして、不足・不平・不満の感情が沸き起こる場面になった時にいかに喜んだり感謝したりできるかがポイントなってきます。
喜べない場面こそ最大のチャンスと言えます。
喜べない場面でも嬉しい波動を出すことができれば、次第に自分から発信する波動は喜びだけになります。
必然的に引き寄せる事柄や人物は有難いと感じる内容ばかりになっていくからです。
喜べるクセがついたらしめたもの
どのようにすれば喜べる癖をつけられるのかについては、「其の2 喜べる側面をとにかく探す」をご覧頂きたいのですが、とにかく不満が沸き起こっても気を取り直して喜ぶに限ります。
私の場合も喜べる面を何とか探して不満に思わないようにする練習を日々繰り返してきました。
するとどうでしょうか。
自分の中に不足・不平・不満の感情がいつものように沸き起こってくると、自分が不満に思っている状態が嫌だと感じるようになってきたのです。
不満の感情がある状態は、胸の内に黒いもやもやが立ち込めてくるイメージが自分の中に現れるようになってきました。
そうなればしめたもので、何とかその状態から離れようと勝手に意識が働くようになり、何とか喜べる面はないものかと自動的に探すようになっていったのです。
まとめ
思うにこれは体で覚えるスポーツなどに似ています。
何度も繰り返し喜べる面を探しては不満の感情が発生しないように日々を過ごしていきます。
そのうちに不足・不平・不満の感情が発生すること自体にアレルギーを感じるようになります。
そこまでくれば、自分の中に黒いもやもやがイメージできるので、なお一層喜ぶ面を探して、自分から発する波長も喜びや感謝になります。
回りまわって自分の目に映る事柄や人物に対して喜びや感謝をもって日々生活できるようになるのです。
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