幸せに生きる方法があるのか知りたい人
「モノや情報は溢れているけど、幸せだという実感があまりないなあ・・・ そもそも幸せとは何だろう。どうすれば幸せになれるのだろう。簡単な問題ではないようにも思うけど、 あまり複雑だと結局難しくて実践できないし、なるべくあまり複雑でない方法があると良いのだけど。。」
といった疑問について記事を書きました。
この記事の内容は
●今この瞬間が幸せと感じられるようになる視点3つ
この記事を書いている私は、肺気胸で普通に呼吸ができない病気になって当たり前と思っていた普通に動くということが突然できなくなり、幸せとは何か、有り難いとは何かをその時の体験から感じ取りました。
こういった私がお伝えしていきます。
幸せに生きるための方法【シンプルに2つだけです】
結論として、幸せに生きるための方法というのはあります。
複雑になると難しくなり、結局その方法が使えなければ無いのと同じになってしまうので、できるだけシンプルにして2つにまとめました。
その① 決して(幸せになりたい)と思わないこと
なにそれ?私は幸せになりたいから情報を探しているのに!というご意見が聞こえてきそうです。
でもちょっと聞いてほしいんです。
(幸せになりたい)と願っている心の状態は、「幸せ」ですか?それとも「幸せではない」でしょうか?どちらかというと、幸せになりたいと願うのは(今が幸せではない)と思っているから、ではないでしょうか。
つまり、幸せになりたいと願う行為は、(今は幸せではない)と強く自分自身で認識している行為と同じといえそうです。
人は本心で強く思っていることが、実際に目に見える形に現れると言われます。
すると、「幸せではない」が目の前に現れて、それを自分で見てまた(幸せになりたい)と思ってしまう。
となると、幸せになりたいという思いを自分のベースに置いている限り、幸せではないループにはまってしまうことになります。
ではどうするか。することは1つです。
それが、その②でこれからお伝えする、今この瞬間が「幸せ」だと感じることです。
まずはそこからです。
(幸せになりたい)ではなく(幸せである)を強く思って自分のベースに置いて下さい。
自分の本心のベースを(幸せになりたい=今幸せではない)から(今幸せである)にシフトするんです。
本心で思うことと、その思ったことが目に見える形に現れ出てくるにはタイムラグがあります。
まず思うことが先です。目に映る身の回りに現れることはその後から付いてきます。
その② 今この瞬間を「有り難い」と感じること
自分の本心を(幸せである)にして、まずは私達のベースを「幸せである」状態へシフトしましょう。
ですが、そうは言っても今を幸せと感じられなければ中々難しいですよね。
幸せとは何なのか。
色々と自問して突き詰めていった結果、単純に聞こえるかもしれませんが、
だと最終的に行き着きました。
自分が(今この瞬間を有り難いなぁ)と感じられるか
幸せかどうかは、どういう状況でも自分が有り難いと感じられるかがだけが鍵となります。
幸せ=有り難い=感謝と表現することもできると思います。
他人は関係ありません。自分が今この瞬間を有り難いと感じられればOKです。
100人の他人がそれは不幸だと自分を評価しても関係ありません。
あなた自身が今この瞬間を有り難いと感じられるのであれば、あなたは幸せに生きることができています。
そして、有り難いと感じられるかどうかは、自分のモノの見方・受け取り方にかかっています。
なぜなら、相手の言動や目の前に起こったこと、置かれている状況そのものに良し悪しや幸不幸の要素は含まれていないからです。
その体験をしている私達が、自分の見方・受け取り方によって、その事柄を良いか悪いか幸か不幸かに選別しているからです。
ということは、自分のモノの見方・受け取り方は、自分自身の幸せに直結していると言うことができるので、かなり重要です。
私の体験を具体例にあげますと、
「私は気胸で入院して退院し、再発して再入院。呼吸がし辛い体験も経て3週間後に退院することができた」
これが事実です。この段階ではまだこの出来事はただの出来事です。
既に(ツライじゃん)(不幸じゃん)と思われるかもしれませんが、まだ幸不幸の色合いはここには無いんです。
ここにわかりやすいように【不幸】と【幸】それぞれで私の受け取り方を加えたいと思います。
【不幸】入院して退院後に再発。呼吸も苦しい時があったしツイてない。周りの人は誰もなっていないのに、どうして自分だけ。運が悪くて落ち込むな・・・。
【幸】 呼吸が苦しい思いをして、初めて呼吸できることが当たり前ではないことを知った。これからはどんなにキツイことがあってもそれは健康で呼吸もきちんとできているお陰と思える。有り難い体験をさせて頂いた。
いかがでしょうか。出来事は同じでも受け取り方で全く違う体験になってしまいます。
ですので、今この瞬間を「有り難い」と感じられることは大変重要で、有り難いと感じられるかどうかを左右するモノの見方・受け取り方も同じくらい大切になってきます。
今この瞬間を有り難いと感じられるようになる視点3つ
いきなり今この瞬間を有り難がれと言っても、そのようなマインドになるためには繰り返し練習が必要になるケースがほとんどだと思います。
ここでは、有り難いと感じられるようになる目の付け所を3つ参考にして頂くためにご紹介します。
①私達は体験するためにこの世に生まれてきた
私達が生を受けて地球に降り立った目的は、様々なことを体験するためのようです。
大変なことや困難なことも体験することが目的、という視点に立てば有り難いということになります。
どっちにしても通らなければならない体験であれば、目の前の出来事は体験することそのものに理由と価値がある、という視点に立って進む方が有り難いと感じられますし、尚且自分の心の負担も少なくて済むので一石二鳥です。
尚余談ですが、誰かのために、何かのために、必ず何かを成し遂げなければならない、役に立たなければならないということは無いようです。
役に立つ体験も価値がありますし、特に役に立たなくてもその体験にも価値があります。
私達は様々な体験をするために生まれてきました。
②私達は「生きている」のではなく「生かされている」
体験することが目的であったとして、色々なことを体験するにはそもそも私達は生かされている必要があります。生きることができてこそ様々な体験ができるからです。
ここでのポイントは「生きている」ではなく「生かされている」と表記している点です。
えっ?生きているで良いんじゃないの?と疑問に思う方もいるかもしれません。
でも生かさていると表現する方が正確です。
なぜか。
私達は、空気や太陽、水がなければ生きてはいけないからです。
そういった大自然のエネルギーによって支えられて生きることができています。
エネルギーに関する点だけではありません。
人体そのものを見ても、私達は諸器官全てを自分の意志でコントロールしていません。
今は集中すべきときだからと空腹をストップさせることはできませんし、今丁度空き時間だからと効率的に眠気を発生させることも、その逆に抑えることもできません。
翌日は試験と分かっていても前日に熱が出ることもありますし、それを自分の意志で下げることはできません。
傷や怪我を負ったとして、試合が近づいている大事な時期だからと即座に治すことはできません。
私の体験した気胸も良い例です。
どんなに自分で治して退院しようと思っても、その時期が来なければ自分では頑張りようがありませんでした。
私はただ入院して体にお任せするしかなかったです。
「生きている」のであれば、なぜ全て自分の意志でコントロールして思い通りにできないのでしょうか。やはりそれは、「生きている」のではなく「生かされている」状態だからと考えるのが自然です。
自立神経や自然治癒力など自然にお任せするしか無い境遇の中で、私達は生きているのではなく、生かさているんです。
③有り難がるベースを「生かされている」にする
自由に体などを動かすことができるある程度の自由が与えられているので、生きていると錯覚を起こしやすいのは無理ありません。
ですが、そのある程度の自由は大自然によって生かされているという土台の上での話になります。
生きているという私達の根幹自体が大自然の恩恵によって支えられて成り立っていると考えると、生かされている今この瞬間が少なからず有り難いと感じられ、なんとなく感謝の想いが生まれては来ないでしょうか。
生かされていること=有り難いと感じることができるなら、それは有り難がるベースを「生かされている」に設定しているということです。
そのようにマインドを設定すれば、私達が出会う様々な体験は全て生かされている土台の上で起こる出来事なので、全てにおいて今この瞬間を有り難いと感じることができるはず、ということになります。
まとめ
この記事の内容のおさらいです。
・方法① 決して(幸せになりたい)と思わないこと
・方法② 今この瞬間を「有り難い」と感じること
・有り難いと感じられるようになる視点を3つ参考に記しました。
・視点① 私達は体験するためにこの世に生まれてきた
・視点② 私達は「生きている」のではなく「生かされている」
・視点③ 有り難がるベースを「生かされている」にする
(私は今幸せである)と認識して、有り難いという想いを継続して日々を過ごしていくことで、それが習慣化されていきます。
幸せは、周りの人や環境などによってどこかからもたらされるものではなく、自分の気付きによって心に芽生えて実感するもの。
そして、日々の習慣化によってその実感を少しずつ大きく育てていくものだと思います。